【3つの教材研究③】大単元構想〜読書と私〜

公開日: 2024年2月3日土曜日 「大造じいさんとガン」(光村図書/東京書籍5年) 教材研究

3つの教材研究シリーズ第3回は「指導法研究」。
あまり「指導法」っぽくない内容になってしまいましたが、
私自身の「指導法」についての考えの現在地を書き綴っています。

「なぜ、この教材文なのか?」

2年ほど前、ある学会で助言者の先生に問われた時、答えに詰まったことがありました。

その問いとは「なぜ、この教材文だったんですか?」です。

強いて言えば「教科書に載っているから」。
そして、「力のつく教材だから」。
その作品に出会わせて、子どもが興味をもてば、それでいいと思っていたのかもしれません。
でも、私の答えの中に、子どもの言語生活は見当たりませんでした。

それ以来、特に読むこと単元では、「なぜこの教材文なのか」を考えるようになりました。

今回の単元でいえば、なぜ「大造じいさんとガン」を読むのか、ということになります。
さらに踏み込んでいえば、そもそも国語の授業では、何のために読むのか、ということを考えるようになりました。

何のために<読む>のか

教科目標としては、学習指導要領に書かれている通り
「言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を育成する」ですよね。

「理解」と「表現」。
その相互循環にこそ、国語科の本質があると言えます。

ただし、この目標は「育成する」側から見たものです。
子ども自身が、「言葉の力をつける」という目的意識をもつことも大切ですが、多くの場合、それだけでは授業に閉じた学びになってしまいます。
(これは、自分自身の実践を振り返っての反省です)

では、子どもの側にとって、<読む>という行為の意味は何でしょうか?

さまざまあるかと思いますが、ものすごくシンプルに言えば

「たのしむこと」だと思います。

知識を広げるたのしさ。
追体験することのたのしさ。
見方が変わるたのしさ。

一人ひとり、そのたのしみ方はさまざまでしょう。


ー大単元「読書と私」を編むー

では、国語の授業の役割とは何でしょうか?
今の私は、「そうしたたのしみ方を、一人ひとりが広げていけるような場をつくること」にあると考えています。

そう考えるようになったきっかけは、2学期中頃、伝記の単元びらきでの子どもたちとのやり取りにありました。

授業を担当している5年生の子どもたちは、
ほとんどが伝記を読んだことがないか、
読んだことがあってもあまり面白さや伝記を読むことの意味がわからない、
と感じていたのです。

そこから「伝記と私」という単元がスタートしました。
ー自分にとって、伝記を読む面白さや意味は、どこにあるのかー
それを問い続けていく単元です。

以来、<読むこと>の学習は、「読書と私」という大単元として取り組むようになりました。
写真は、その学びの足跡です。

      〜伝記編〜

   〜物語編①〜


   〜論説文編〜

どれも、教科書教材を活用した単元です。
ゼロからの単元開発というわけではありません。
ただ「なぜ、その教材文を読むのか」という問いの答えは、少しずつ見えるようになってきた気がします。
私も、子どもたちも。

今回の研究発表会で公開授業をする単元も、この大単元「読書と私」の中に位置づくものです。
次回から、実際の子どもたちの学びの姿をご紹介していきます!

最後までお読みいただきありがとうございました。


国語科 溝上 剛道

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