〜「千びきに一ぴき」から生まれた読みのずれ〜「単元 太一のモノローグ『海の命』(光村図書6年)」⑤

公開日: 2020年2月16日日曜日 「海の命」(光村図書6年)

先日の研究発表会では多数ご参加いただき誠にありがとうございました。
研究発表会前時の様子をブログにアップできていませんでしたので,
今回はその第5時の様子をご紹介いたします。

第5時の目標 問いの解決を基に冒頭のモノローグの言葉について話し合う活動を通して,中心人物の生き方につながる複数の言動や描写を関連付けながら,物語の全体像を考えようとする。





<第5時の主な学習活動>
1 前回までの問いの解決を基に,物語の全体像を表す言葉について話し合い,本時の見通しをもつ。
2 ペアやグループで話し合いながら「わたしの問い」の解決に取り組む。
3 太一の追い求めた「夢」とは何なのかについて話し合う。
4 本時の学習を振り返る。

 第5時では,はじめに前回まで問いの解決をしてきたことが,学習課題の達成につながっているかを振り返らせました。
この時点で,冒頭のモノローグ「これは〜物語だ」(=物語の全体像を表す言葉)について仮の考えてをもてているグループは3つ。
そこで,この時間では,今日の問いの解決でわかったことを基に,最終的にもう一度「だったら『これは〜物語だ』は…」のように全体像に結びつけて考える見通しをもたせました。(板書の青囲み部分)
 その上で,各班での問いの解決に入っていきます。それぞれが問いの解決に取り組んでいる中で,4班が「追い求めている夢とは何なのか?」について「かたきうちではなかった」というところまでは分かったが,夢が何なのかまでは分からずにいました。
そこで,その困り感を取り上げると,次のような考えが出されました。

・「追い求めているうちに不意に夢は実現するものだ」とあるから,かたきうちが夢だったら,夢が実現していないことになる。
・太一の夢は,瀬の主に会うことだったのではないか。
・1場面の「おとうといっしょに海に出るんだ」から,おとうと一緒に海に出ることが夢であったとも読める。

その中で,1班のゆみさんが「クエをとって一人前になることが夢だった」という意見を述べました。
すると9班から「でもそれだったら…」というつぶやきが出てきたので取り上げ,発言を促しました。

ともこ:この物語には,「村一番の漁師」と「一人前の漁師」と2つ描かれているんですよ。それで,私たちは与吉じいさの「千びきに一ぴきでいいんだ」の言葉に注目して,この「一ぴき」は瀬の主じゃないのかって考えたんですよ。瀬の主って海のトップじゃないですか。
まさと:そういうことではないんじゃない?
ともこ:海の中心的な存在と考えたんですよ。瀬の主が今までは中心だったけど,その瀬の主をとることによって,太一が海の中心として生きていけるってことを伝えたかったと思うんですよ。でも36行目では,もう与吉じいさは太一のことを「村一番の漁師」って言っているんですよ。ということは,瀬の主をとったら一人前の漁師で,村一番の漁師っていうのは海の命を守ることができる…
T     :ということは,村一番で「とどまっている」,一人前にはなっていない,という考えかな。この「千びきに一ぴき」の,「一ぴき」っていうのは,瀬の主を表していると考えているのが9班。みんなはどう思う?
C      :いや違うんじゃない?
C      :何でもいいんじゃない?普通の魚でいい。どの魚でもいい。
T      :なぜどの魚でもいいの?
ゆうと:瀬の主が何十匹もいるわけではないし,「千びきに一ぴき」って普通の魚,与吉じいさが釣ったタイとかブリとかイサキとかの一匹を大切に釣ったらこの海で生きていけるってことで,瀬の主を殺したらこの海で生きていけるってことではないと思う。
T     :りおさんもここ,前にノートにたくさん書いていたよね。りおさんどう?
り の:私は,「千びき」っていうのが海の全部の生き物のことを表していると思って,「一ぴき」っていうのが与吉じいさが釣っていた二十匹ということじゃないかと思う。
まさと:さっき,ゆうとくんが反論したじゃないですか。それを9班はどう思ってるか聞きたいんですけど。
T     :9班どう考えている?じゃあさりあさんどうぞ。
さりあ:私たちが瀬の主じゃないかって思ったのは,さっきともこさんが出してくれたん
ですけど,クエはおっきいじゃないですか。それ(瀬の主)をとらないと,小さい魚を食べすぎるかもしれないと思って,それで,与吉じいさは瀬の主をとれなかったじゃないですか。それで,村一番の漁師でとどまってしまって,おとうもそうだったんですけど,太一にはそれを成し遂げてほしくて,一人前の漁師になってほしいと思って「千びきに一ぴきでいいんだ。」って考えているんですけど。

ここで時間が来たため,次の時間に5分間をとって振り返りを書かせました。
9班は,「『千びきに一ぴき』の『一ぴき』は瀬の主のこと」という考えをもっていました。
これに対して他の子どもたちから「普通の魚でもいい」という声があがり,その理由をゆうと君が赤線部のように述べます。
さらにりのさんが「千びき」「一ぴき」を比喩的に捉えた発言をします。
これにより9班以外では全員が納得していきました。
ただ,最後のさりあさんの発言からもわかるように,9班は自分たちの考えのままです。
その原因はどこにあるのか,一人一人のノートを見返して考えてみました。
すると,実は両極端とも思える2つの考えに,ある共通点があることに気づきました。

それは,
「村一番の漁師」と「一人前の漁師」についての捉え方


です。
多くの子どもがこの時間に問いの解決の際のメモや,振り返りに「一人前の漁師は,瀬の主をとったらなれるもの」「だから,おとうも太一も村一番の漁師でとどまった」と書いていました。
この二つの言葉が意味することの違いに着目したからこそ生まれた考えですが,そうなると,この物語は「太一が一人前になれず,村一番の漁師にとどまった物語」となってしまいます。

このように,「一人前の漁師は,瀬の主をとったらなれるもの」「だから,おとうも太一も村一番の漁師でとどまった」という読みを,物語の全体像という大きな視点で考えると,自分の読みを見直しながら,モノローグづくりにつなげていくことができると考えています。
そこで,第6時(研究発表会本時)では,そうした「村一番の漁師」「一人前の漁師」の捉え方のずれを取り上げつつ,その意味や関係を「物語の全体像」という視点で捉え直していく授業を目指しました。
次回のブログでは,その授業の様子をご紹介いたします。

国語科 溝上 剛道























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