2月7日(金)熊本大学教育学部附属小学校研究発表会公開授業授業記録②「モチモチの木 活弁士になろう」~「わたしの問いを立てる」~
公開日: 2020年2月3日月曜日
昨日の第1時の授業記録を90人近い先生方がご覧くださいました。今回の公開授業にお時間をさいていただけたことに感謝申し上げます。
本日も「モチモチの木 活弁士になろう」の授業記録②を掲載させていただきます。
本時の目標は、「わたしの問い」を立てることです。
では、よろしくお願いいたします。
第2時の目標
『モチモチの木活弁士』になるために必要な「わたしの問い」を立てることができる。
前単元での学び(特設単元「サーカスのライオン」のじんざのすてきが伝わるプレゼン大会を開こう)の中で
「わたしの問いとは何なのか」や「わたしの問いを強く深くぎっしり詰まった形で解決するにはどうしたらいいのか」などについての学びが子どもたちから生み出されてきました。
それはかんじ君が立てた、プレゼン大会でじんさのすてきが伝わるプレゼンをするために解き明かさなければならないと考えた『じんざはなぜ火の中に飛びこんで男の子を助けたのか?』という「わたしの問い」を解決した時のことでした。
かんじ君はひょうきんで、いつも教室のみんなを笑わせてくれる元気な男の子です。だから、かんじ君が発表しようとすると、周りのみんなはワクワクし始めます。
そんなかんじ君が立てた「わたしの問い」の解決を「男の子が好きだから。」としました。
そう書きながら、じっとノートを見つめるかんじ君。
私はその様子を後ろからじっと見ていました。
そして、かんじ君がつぶやいた言葉が・・・
「うーん、弱い!!」
でした。
その言葉を聞いた私は、かんじ君に近寄り、どういう意味か尋ねました。
かんじ君は一生懸命じんざが男の子を助けた理由を言葉にしようとします。
それでも、出てきた言葉が「好きだから」だったのです。
その出てきた言葉を自分で評価して、満足できないからこそ出てきた「弱い!!」でした。
私はこのつぶやきを取り上げ、かんじ君の困りごとを全体に共有していきました。
そして、かんじ君の「弱い」はなぜ弱いのかを話し合いました。
子どもたちが出したのは「弱い」のは「浅い」「ぎっしりつまっていない」からだという理由でした。
じゃあ、その「弱い」「浅い」「ぎっしりつまっていない」を「強い」「深い」「ぎっしりつまっている」にするにはどうしたらいのかについて話し合っていきました。
詳細につきましては、教室の掲示物にまとめてあります。
研究発表会の公開授業は附属中学校の体育館で行うのですが、壁面に「強い」「深い」「ぎっしりつまっている」解決とするためにはどうしたらいいのかをまとめてあります。3年3組の子どもたちが考えた解決策です。ぜひ、ご覧になられてください。
話が少し脱線しましたが、子どもたちはそのような「わたしの問い」を解決することに没頭する学びを生み出していきました。
しかし、ここで反省点が出てきました。
「じんざのすてきが伝わるプレゼン」を行うために立てた「わたしの問い」の解決、発展・更新だったのに、「わたしの問い」を解決すること自体に喜びや面白さを感じてしまったようでした。
つまり、「わたしの問い」の解決が言語活動から分離した学びになってしまっているという側面が、3年3組の実践の中にあったのです。
そのような反省を改善できるように,本時で立てる「わたしの問い」と単元の言語活動が密接に絡み合うように「わたしの問い」を立てさせていきました。
「わたしの問い」と「言語活動」とのつなりを意識させるための手立てとして,文末表現を「どう活弁したらいいのだろう」という形で表記させました。
しかし,言葉だけで説明しても十分に理解できるとは言い難いです。
3年生と言う発達段階を考慮するとさらにです。
そこで、問いを立ている時に、にじこさんが「自信がないから見てほしい」と言って持ってきた「わたしの問い」を基に,具体的に言語活動を達成することにつながる問いを立てる姿をモデルとして示した。
にじこさんは、歌うことが大好きで、みんなの前でも得意の民謡を堂々と披露することができます。にじこさんの歌を歌う姿を見ていると、すがすがしい気持ちになります。とても笑顔がかわいいのですが、一生懸命するときにはとっても一生懸命な学びをする子どもです。
「なぜ,豆太は夜はこわいのに,昼はいばっているのだろう。」
この問いは、物語を読むための問いであることや,問いと答えの距離が短いため,深い学びを生み出すことは難しい問いです。この「わたしの問い」を解決しても、言語活動にしっかりとつながっていかないだろうと思いました。そこで,この問いの文末を次のように変えてみせました。
「夜はこわがり、昼はいばっている豆太の気持ちを,どう活弁したらいいのだろう」
簡単な変換であるが,子どもたちはこの変換がとても難しいです。
しかし,この問いを解決していくと、自然と活弁につながっていくということを意識させることができました。
にじこさんの問いを基に、みんなが立てるべき問いのモデルを示したのですが、その後の本学級の子どもたちは、様々な「わたしの問い」を立てました。
以下に抜粋して掲載させていただきます。
35人全員が立てた「わたしの問い」一覧は、当日授業記録でお配りいたします。
ころう君:73~84行目、豆太は山のふもとの医者様を呼びに行って走っている時、どんな気持ち だったのだろう。そして,その気持ちをどう活弁したらいいのだろう。
おうみさん:109行目にある「は,は,は。」と笑っていたおじいさんの気持ちをどう活弁したらいいのだろう。
あいこさん: 50行目の「それじゃぁ,おらは,とってもだめだー。」の気持ちを,どう活弁したらい いのだろう。
ももよさん:30行目の「やい木ぃ,モチモチの木ぃ,実ぃ落とせぇ。」と言っている豆太の気持ちをどう活弁したらいいのだろう。
ゆうじ君:64行目の「じさまはいない」はどういう読み方で活弁したらよいのだろう。
れいなさん:94行目に「モチモチの木に,灯がついている」と豆太が言った時,豆太はどんな気持ちだったのだろう。
さくやさん:じさまが体を丸めてうなった時,豆太はどんな気持ちだったのだろうか。
ここに取り上げた「わたしの問い」は特別にいいものというわけではありません。
純粋にランダムに抜粋したものです。
しかし、ここに挙げた「わたしの問い」を見てもわかる通り、「活弁をするために,読み解いておかなければならない内容を明らかにする問い」と「活弁の表現の仕方についての問い」の2種類の「わたしの問い」が出されています。
このように、子どもたちが立てた「わたしの問い」を、私は次のように分析しました。
<1回目の「わたしの問い」の分析>
・問いの種類として,多くの子どもが「物語を読み解く問い」を立てている。文末表現を「活弁するためにはどうればいいのだろうか」としているので,問いを解決する中で,物語を読み解いた内容を活弁へとつなげる意識を高めていくと考えられるが,傾向として物語を読み解く問いが多い。
・モチモチの木に灯がともる姿を見ることができた豆太の気持ちを明らかにしようとしている子どもが14人いて1番多い。じさまを助けるためにとうげの下りの坂道を走り下りた時の豆太の気持ちを明らかにしようとしている子どもが13人いる。クライマックスの場面について問いを立てている子どもが8割弱いる。
・この物語を読み解く上で避けることができない最後のじさまの台詞に立ち止まっている子どもが5人いる。どのように読み解いていくのかを見守る必要がある。
・りおんさんとひなこさんが,医者様のモチモチの木に灯がついている姿が見えた理由についての問いをもっている。しかし,医者様の会話から推測するに,医者様は豆太の見た「木に灯がついた」ということは見えていないのではないか。(「まるで~ようだ」とあるから。)このことについても,どのように読み進めるのかを見ていきたい。
このような分析までを、第2時の授業記録とします。
全ての子どもの「わたしの問い」をお示しできないのが残念ですが、ぜひ当日配布の「わたしの問い」一覧をご覧になられてください。
「なるほど~!!」や「あれ、これでいいのかな?」など多様な反応をいただけると思います。
そんな子どもの学びの姿で検討できる授業研究会にしたいなと考えております。
明日は「活弁士になるために立てた『わたしの問い』を解決する授業」の記録を掲載いたします。
本学級の公開授業は2月7日(金)になります。
金曜日は午後の半日開催です。
まだまだお申し込みは受け付けております。平日の実施のため、参加することがむずかいいかもしれませんが、これから本学級3年3組の子どもたちがどのような学びの姿をたどるのか楽しみになられたのではないでしょうか。
ブログには本時前までの授業記録を掲載いたします。
やはり本時の学びは実際にご覧いただいて、ご参会の先生方の目で分析していただきたいと考えております。
また、当日の授業分科会では、京都大学の石井英真先生と熊本大学の北川雅浩先生をお呼びして、ご助言いただきます。石井先生は『中教審「答申」を読み解く』や「今求められる学力と学びとはーコンピテンシー・ベースのカリキュラムの光と影」など多数のご著書を書かれておられます。北川先生も本年度熊本大学にご着任された先生です。授業研究会もこれまで聞いたことのない情報が満載になる予定です。
それでは、これから2月7日(金)の研究発表会までお付き合いくださいませ。
熊本大学教育学部附属小学校 国語科 中尾聡志
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