2月7日(金)熊本大学教育学部附属小学校研究発表会公開授業授業記録③「モチモチの木 活弁士になろう」~「わたしの問い」の解決~

公開日: 2020年2月4日火曜日

本日第6時の授業を終えました。
子どもたちは前時から「活弁台本作り」に取り組み始めています。


子どもたちは、これまでの学習経験の中で、「活弁台本」を作った経験などありません。
しかし、それでも子どもたちは活弁台本づくりに一生懸命になっています。
その活弁台本を作りながら、子どもたちはしっかりと読むための言葉の力を身につけて言っています。
早く先生方に、3年3組の子どもたちの学びの様子をご覧いただきたいと思っています。


さて、この授業記録の公開も、3回目を迎えました。

本日の学びの中心は「わたしの問いの解決」です。前時に立てた「わたしの問い」を解決していく授業となります。

早速ではありますが、「わたしの問い」を解決する授業の記録をご覧ください。

第3時の目標:「『わたしの問い』の解決に取り組み,自分が納得して活弁することができる『モチモチの木 活弁士』になるために,問いの解決を行うことができる。」


授業の導入では,学習課題の確認を行いました。

3つのフレーズを諳んじて言えるような時間を設定したのです。

しかし,単なる暗記では意味がありません。

それぞれのフレーズを確認しながら,「何をもつ力?」「それは何を基にするの?」など,身に付ける力を細分化して意識させたり,「そのために大事な3つのことって何かな?」「つなげて読むってどうすること?」などと質問したりしながら,学習課題を共通のものとしていきました。

諳んじていえることが目的ではありません。

学習課題を自分の中に落とし込むことが目的です。

言語活動に取り組みながら、学びの質がずれてきたら、学習課題に返して考え直させてみたり、言語活動の取り組み方がわからなくなったら学習課題に返す、というように、常に子どもたちの学びの中に、「3フレーズの学習課題」を置いておくための手立てとなります。 

学習課題の確認後,単元の見通しを持たせるために,「活弁士になるにはどうするの?」「活弁台本作るにはどうするの?」「私の問いを解決するにはどうするの?」と尋ねながら,単元の学習の流れを言語化させていきました。

言語化することで理解したり、納得したりすることができます。 

前時を終え,子どもたちが立てた1回目の「わたしの問い」を分析した結果,次のような学びの場が必要であることがわかりました


①問いの種類が2種類混在していることを自覚しないまま,「わたしの問い」を立てているため,その違いを自覚させる場を設定したい。

②言語活動である「活弁」のイメージはできているが,段落構成などの活弁の具体像まで把握できていないため,立てた「わたしの問い」が物語の細部をつつくようなものになっている子どもがいる。

③逆に大きな「わたしの問い」をいきなり立てしまっているため,簡単に解決できない子どもがいる。大きな問いを解決するための手前の小さな「わたしの問い」を立てて,解決しなければならない子どもがいる。

そのため,授業の導入でこの3点についての説明し,その後「わたしの問い」の解決に取り組ませていきました。以下に5班のゆうじ・かんた・ひなこ・さくみの学びの様子を載せます。 

<4人とも「わたしの問い」の解決に取りかかる。その後,しばらくしてかんたが呼びかける。>

かんた ねえねえちょっといい?

ひなこ ちょっと待って。(しばらくして)うん,はい,いいよ。

かんた 僕の2番と3番の問いを見てもらっていい?これってさ,なんか…

ゆうじ 答えが似てるような気がする。 

かんた だから,削っていいよね?

ゆうじ そうだね,うーん。いやでも,一応まず3番を解決して,その気持ちを2番の活弁の仕方につなげたら,有効だと思うから,両方解決した方がいいと思うよ。

かんた なら,両方とも解決してみる。 …


かんたの2番と3番の問いとは以下の通りです。

②山道を走っている時、霜がかみつき、それでも走り続けた豆太の気持ちを、どう活弁したらいいのだろう。
③74行目の豆太は外に一人ででることはこわかったのに,なぜ一人でそれも夜中に出られたのだろう。
確かに,どちらもじさまを助けるためにふもとの村まで走った時のことについての問いとなっています。かんたは考える内容が似ているため,削ろうと迷ったが,いまいち自信が持てていなかった。そのため,問いを削るという意見を出した上で,グループの友達に意見を求めていました。すると,ゆうじが③→②という解決の順序を示したり,それぞれの問いの価値を話して,どのように学びを進めていくべきかの示唆を与えたりしてくれている。この姿は学びを調整する姿と言えるでしょう。

<その後の話し合いの様子>
ゆうじ なんかひなこちゃんとか相談したいことない?

ひなこ 1つ目の問いの「①なぜ95行目くらいに、じさまは「モチモチの木の灯は大人には見えない」と言っていたのに、なぜ医者様も見えたのだろう。」という問いなんだけど…ゆうじ君。

ゆうじ これは,おじいさんが豆太の臆病な性格を直そうと思って言ったことだったんじゃないかな。だってさ,お父さんもじさまも見たことあるんでしょ?そしたら見てみたくなるじゃん,自分も。それに子どもしか見られないんだったら,それも勇気のある一人だけが見れるなら,余計見たくなるじゃん。だから,そうやって性格を直そうとしたんじゃないかな。

かんた うーん,僕は多分ほら,最初にさ,自分一人だけ飛び出したじゃん。勇気あるじゃん。

ひなこ うん。

かんた でも,帰りはモチモチの木とか無視して,医者様のところにとにかく早く行こうって考えてるじゃん。だから,その時にモチモチの木に灯がついていたのかもしれないけど,それを無視してたから,でも,その二十日の晩しか見れないんでしょ。だから,モチモチの木は,医者様もいるけど,いいやって思って灯をつけたんじゃないかな。

ゆうじ あれは点けたってことじゃなくて,重なっただから,自然現象だと思いう。

<他のグループのたけおがゆうじに相談に来たので,そちらと相談を始める。>

<ひなこ・かんた・桜はノートに自分の考えをまとめる。> 



ゆうじはグループの中で,話し合いを促進させる役割を担っていました。

発言しにくい子どもがいたら,その子に声をかけられるし,かんたのように発言に対する意欲を持っている子どもには,堂々と自分の意見を述べています。

そのような役割を担う子どもがいるからこそ,創造的なコミュニケーションを行うことができると考えるのです。

かんたの読みは聞いていてとても面白いです。

モチモチの木の描写には,擬人化された表現が多く使われています。だから,モチモチの木を生きている存在として読んでいるからこそ,モチモチの木が灯をつけたという読みをしているのだと見取りました。

そんな読みに対してゆうじは「自然現象」と言い切っています。

かんたは何かを言いたげではあったが,その自然現象と言う意見の意味を噛み締めながら,ノートに書き込もうとする姿が見られました。


授業後半に,私は6班のなつみとるうまと話をしました。

その中で,豆太とじさまの関係がどんな関係なのかと言う話が出てきました。

子どもたちはこの2人の関係を単なる「祖父と孫」の関係として読んでしまいます。

「モチモチの木」の中の「じさまと豆太」の関係をそのまま自分と祖父の関係と同じように読んでいては,正しく読むことはできません。

そこで,各ペアやグループでの学びを止めて,全体で話し合う場を設定しました。


話し合いの中で,豆太とじさまは山の中で,たった2人きりで暮らしていること,それ以外に住んでいる人はいない状況にあること,つまり,どちらか片方がいなくなれば,たった1人で生活すること,豆太の家の周りにはコンビニなどなく,食べるものもなくなってしまうということを明らかにしていきました。豆太とじさまの関係を単なる「祖父と孫」という捉え方ではいけないということを確認し,国語の記録を書かせていきました。

 子どもたちが書いた「国語の記録」の中で共有すべき必要のある内容や,本時の学びの中で価値ある学びをしていた子どもの姿として,次のようなものがありました。

ここでは抜粋して1点載せさせていただきます。

当日壁面にその他の6点を掲示しておきますので、研究発表会当日に直接ご覧ください。いろいろ思考しながら、問題解決をしている姿がわかるのではないかと思います。


しんじの問解活の3点セット … 「わたしの問い」と言語活動をつなげて考えるために,「わたしの問い」と「問いの解決」解決した内容をどう活弁につなげるのかという「活弁」のそれぞれの頭文字をノートに並べて表記している。

例)問 豆太がモチモチの木に灯がついているのを見た時,どんな気持ちだったのか
    を,どう活弁すればいいのだろう。

  解「モチモチの木に灯がついている。ぼくって,そんなに勇気あるんだ。」

  活(だから)小さくぼそっとびっくりしたように活弁する。
このような解決策を使いながら、子どもたちは自分が立てた「わたしの問い」を解決していきました。

子どもたちはいったいどのような「わたしの問い」の解決をしていったのでしょう。こちらも紙幅の関係上、一覧表を掲載することはできません。

当日配布資料として、「わたしの問い」一覧と「わたしの問い」解決一覧をお配りいたします。

合わせてご覧いただけると、子どもたちがどのような問いの解決をしていったのかがわかると思います。当日楽しみにされていてください。

ここでは、毎回取り上げている5班のひなこの「わたしの問い」とその解決の様子をお伝えします。

「わたしの問い①」①:なぜ95行目くらいに、じさまは「モチモチの木の灯は大人には見えない」と言っていたのに、なぜ医者様も見えたのだろう。
                    ↓
「①の問いの解決」:豆太のおくびょうな性格を直そうとしたから神様は豆太のために灯をつけたのかもしれない。

「わたしの問い②」:じさまのはらいたがなおった後、豆太はどんな気持ちだったのだろう。そして、その気持ちをどう活弁すればいいのだろう。
                    ↓
「②の問いの解決」:じさまのはらいたがなおったから、うれしくてたまらなかった。

ひなこのノートは上に挙げた残り6つの学びの内の1つである「考えて書くノート」にあたります。ひなこは自分の意見と友達の意見をノートに書いてまとめながら、自分はいったいどう考えるのかを、じっくり思考することができていました。

このような「わたしの問い」を解決した結果を、活弁台本に書く際にどんどん生かしていくのです。その時の子どもたちの表情や学びの姿は、主体的であり対話的であります。そして、たくさんの深い学びを生み出していっていたのです。

ブログではその全体像をお示しできないのが残念ですが、一人一人が全力で問いの解決に臨んでいました。

いかがだったでしょうか?
全てを書き留めることができていませんが、子どもの問いを解決する様子をうっすらと感じていただけたのではないでしょうか。


次時の学びの中心は、「わたしの問いの発展と更新」となります。
子どもたちの思考はさらに加速していくことになります。
ぜひ、明日も本ブログをご覧いただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

国語科 中尾聡志
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