2月7日(金)熊本大学教育学部附属小学校研究発表会公開授業授業記録④「モチモチの木 活弁士になろう」~活弁台本づくりに取り組む~

公開日: 2020年2月5日水曜日 「海の命」(光村図書6年)

※申し訳ありません。昨日の掲載しておりました板書が第4時のものでした。昨日のブログの板書は差し替えてあります。そのため、本日の板書が昨日の板書と同じものになっております。昨日の板書は変更してあります。


第4時の目標 「『わたしの問い』の解決に取り組み,自分が納得して活弁することができる『モチモチの木 活弁士』になるために,問いの発展と更新を行うことができる。」



これまでの授業でも行ってきましたが,単元の見通しを持たせる時間を授業の導入で設定しています。

見通しを持たせる上で大切なことは「言語化」です。

第1時に何をして、第2時に何をするといった詳細な見通しではなく,単元の大まかな見通しを持たせておくことが重要だと考えます。

本時ではその見通しを言語化させる際,「モチモチの木 活弁士になるためには何をするの?」と単元の終わりから話をさせていきました。

多くの子どもたちが私の問いかけに答えられたのですが,この「見通し」は一方通行で進んでいくのものではありません。

台本を作っていると生まれてくる「わたしの問い」は当然あるわけですから,問いを立てることに戻る必要が出てくる子もいるし,「わたしの問い」を立てても,新たな問いを発展させていくこともあるでしょう。

そのような柔軟な学びを生み出すためにも、見通しを持たせておく必要があります。普段の授業から行きつ,戻りつした学びをしていいのだという単元の見通しを持たせていった。

本時の中心的な活動に移るが,本時では「わたしの問いの発展と更新」である。

前時には,各ペア・グループの子どもたちの中に「わたしの問い」を解決する中で、主体的・対話的で深い学びを生み出す姿がありました。

しかし,そのような確かな学びの姿は限定的にしか広がっておらず,もったいない気持ちがしておりました。

そこで,それぞれの「わたしの問い」の解決に入る前に,前時に生まれていた解決するための「解決策」や物語を読み解く上でポイントとなる「問い」を共有していきました。

これらは模造紙にまとめ,活弁士になるための解決策や「わたしの問い」を立てる際の解決策,「わたしの問い」を解決するための解決策としていきました。

以上の説明を終え,昨日の問いの解決状況を一覧にしたものを配布した後,「わたしの問い」の解決に取り組ませていきました。



以下に5班のゆうじ・かいたの学びの様子を載せます。


かいた ゆうじ君,ちょっといい?今,問いを作っているんだけど,110行目の「じさまぁ。」と「豆太が」のその間が思いつかないの。

ゆうじ じさまって3回…いっぱい言うよね。

かいた いっぱい言うけど,特にこことこことここ。

ゆうじ 1つ,言葉の違いがあるじゃん。「じさまぁ」と「じさまぁっ。」と「じさまっ。」は,全部気持ちが違うと思う。そういうことを書いたら,その中身。ねえ,でもその問いぼくも考えたい。いい?

かいた いいよ。ゆうじ君が考えたんだから。 ゆうじ 一緒に考えよう。まあ、自分の考えをもってからね。

ゆうじは「じさま」の表現の違いに着目していました。その表現の違いによる、豆太の気持ちの違いにまで言及しています。

ここで面白いのが,その問いを表出するきっかけとなったのが,かいた君の「わたしの問い」を立てる上での悩み事だったということです。

かいた君が悩み事を表出した結果,ゆうじ君の頭の中にあった「じさま」の表現の違いが表出し,その問いの価値をかいたが納得をもって受け取り,価値づけされていきました。

価値づけされたからこそ,ゆうじ君も解決したいと考えるようになり,かいたと対話的な学びを生み出すことができていました。この後,ひなこさんを入れた学びに広がっていきます。



ひなこ 今何について考えているの?

かいた 今,問いが一つあって,111行目と63行目と69行目の「じさま」っていう…

ゆうじ 全部,1つ1つ言い方が違うじゃん。

かいた 63行目と69行目には小さい「っ」が入ってて,111行目はついてないんだけど…

ゆうじ 1つ1つ言い方が違うんから,その1つ1つの気持ちがあるはずだから,その気持ちはどういう気持ちなのかっていう問い。

かいた ぼくは,(63行目と69行目は)心配してこわくてたまらないから,急いで困っている感じで「じさまっ」って読んで,111行目は伸ばす棒が書かれてないんだけど,活弁する時には,そこは伸ばした方がいいのかもしれないと思う。

ひなこ なんか、63行目と69行目は,豆太の気持ちはちょっと違うよね。だから,言い方も違う。

かいた ちょっと待って。メモするから。(この後,各自で考えるが,納得できる解決ができない)

ゆうじ みんな自分の問い,解決し終わった?

かいた なんかちょっと難しいな。   ゆうじ だよね,ちょっと難しいよね。

かいた 書いたけど,付け足すって言われると難しい。

ゆうじ えっと,「同じ経験をしたことがあるか」だから,自分に地震があった時とか,ぱっと目が覚めるじゃん。

かいた 地震ってどういうこと?地震?うそぉ? 

ゆうじ すっごい揺れが来たとき。で,その63行目の時あるじゃん?少し寝ぼけてるけど,パッと目を覚ましたっていう,そして小さい「っ」が入っているから,ちょっと怖いって気持ちがあるんじゃないのかなと思う。




納得できる解決が生み出せないために,ゆうじ君はまりえさんが考えた「自分がもしも豆太だったら」とつなげて,自分に似た経験を引き出して解決しようとしていました。

そこで,熊本地震の経験とつないで考え,小さな「っ」には,豆太の怖いという気持ちが入っているという解決をしていきました。

体験と結び付けて自分の考えを形成することは,指導事項に書かれている「考えの形成」の力を身に付ける上で大変重要な学びとなると考えます。

この後,9班のちかお君とにじこさんたちと話をした「つなげて読む」とはどういうことか全体の場で共有しました。

簡単に言えば,関連付けが1カ所からしかできていない読みと,複数の根拠を基に導き出された読みの2種類の読みを基に,関連付けて読むとはどういうことなのかについて説明しました。

複数の子どもたちの問いの解決の様子を見ていると,1カ所から直線的に導き出された解決で満足している姿がありました。そのような読みをしている子どもへの読み方を変えるためのきっかけとなるよう,関連付けて読むことの意味を実感できる時間を設定していきました。

簡単に説明すると,「女の子が涙を流した」という文があった時,女の子の気持ちはどんな気持ちかという問題があった時,何と答えるかということです。

子どもたちは口々に「悲しい」と言いました。

しかし,この一文の前に「先生に怒られた」と「10年ぶりにお母さんと会うことができた」の2つの文があった時,この女の子の気持ちはどう読むとよいかと尋ねました。

子どもたちはそれぞれに「悲しかった」と「嬉しかった」と答えました。

1つの文を読み解く時には,前後に書かれた文によってその意味は規定されるはずです。

しかし,長い物語を読んでいるとそのことを忘れてしまいます。

このような例を挙げながら,誰もが関連付けて読むとはどうするのかということが理解できる時間を定期的に設定していくべきであると考えます。

教師の関連付けて読むことについての説明が終わった後,ころうがみんなと話し合いたいことがあるとみんなに訴えました。そのころう君の訴えに合わせて,学級全体で話し合っていった時の様子を下に載せます。


ころう みなさん,ちょっといいですか。 C はい。

ころう みんなに聞きたいことがあります。問いなんですけど,豆太が神様のお祭りで,モチモチの木に灯がともっているのを見た時,豆太はどういう気持ちだったのかが解決できないんですけど,みなさんはどう思いますか。

るうま  僕もころう君と同じ問いなんですけど,僕も初めの問いの解決は,自分で「それじゃあ,もうだめだ」と言っていたけど,山の神様のお祭りを見れたからよかったと思っていると思っていたんですけど,よかったという言葉が浅いと思いました。だから,自分には勇気があるんだなと思ったという答えにしたんですけど,それだと根拠がないし,最後にはじさまが元気にあるとその晩から,「じさまぁ」としょうべんにじさまを起こしたと書いてあるので,ちょっと合わないなと思っています。

T   じゃあ,まずモチモチの木に灯がともっている様子を見た時の豆太の気持ちからいきましょうか。ちょっと班で話し合ってごらん。

<各班で話し合う>

きよた ぼくはまだ医者様がいた時は,まるで灯が付いた様だって言っていて,ついたとは言っていないから,豆太は見れたんじゃないかなという気持ち。

たけお じさまがおとうもじさまの子どもの頃も見たから,見たかったなあと思っていたけど,勇気のある子どもだけって言っていたから,あきれめかけていたけど,その夜にじさまがおなかが痛くなったから,半道もある山の道を寒くても痛くても怖くてもじさまが死んじまうよりましだから,みっともなかったけど勇気を出して,ふもとまで行ったから,山の神様がそれを見ていて,認めてくれたから見れたんじゃないかなと思う。

T    ころう君は今2人がお話してくれたことを聞いてどう思う。

ころう たけお君がじさまが死ぬより走っていく方がましだと言って,勇気を出して,走って医者様を呼びに行ったじゃないですか。そして,たけお君が山の神様が認めてくれたと言っていて,それに僕も賛成です。

T    なるほどね。他にも意見あるんでしょ。心大君。

心大  僕も同じ問いを立てたんですけど,ぼくは,もともと豆太はおくびょうだったのに,106行目にじさまが夜道を医者様を呼びに行けるほど勇気があるこどもだったんだからなと言ったから,豆太も自分ってそんなに勇気があったんだって思ったんだと思う。

かいた  僕も似ている問いを作って,答えもちょっと似ていて,ぼくは豆太も自分に勇気がついたって思たけど,まだちょっとだけ不安とかで,しょんべんについていってくれたんだと思う。

T    ころう君,どうかな。これらの意見を参考に,ちょっと「わたしの問い」を解決してみてください。

ころう ありがとうございました。   C どういたしまして。


前時の分析の通り,モチモチの木に灯がともった様子を見た豆太の気持ちを複数のグループが考えていました。

ころうの呼びかけを契機に,そのことについての「わたしの問い」を解決している内容が語られていったのです。るうま君は「よかった」という言葉では,なかなか納得できず,浅いという評価をしていました。

だから,言葉を変えて「勇気があるんだなあ」としたが,そうすると,「弱虫でも、やさしけりゃ」の場面との不整合が生まれます。関連付けて読んだからこそ生まれた悩みだと考えます。

物語を読み解く授業を通して,よりよく関連付けをした読みを創らせていくべきだと考えます。

きよた君の発言では,医者様の発言と豆太の発言を同じように捉えています。

医者様の発言として読むと,この読みは変わってくるでしょう。

しかし,医者様の発言の「ついたようだ」という言葉にこだわり,見れたとは言っていないということは,とても大事な読みである。

「医者様はなぜ見れたのか?」という問いを持っている子どももいたが,正確には医者様は見ていない。

灯がついたのではなく,灯がついたように見えると言っているのです。

だからこそ,大人には見えず,勇気のある純真な子どもだけが見られるものとじさまは言ったのかもしれません。(46行目のじさまの発言は,じさまの豆太を成長させたい思いから出た言葉であるということが,授業者の見解です。)

その文末表現に着目できていることは素晴らしい読み方です。

次時に個別に支援をし,誤読の方はなくさせていきたいと考えています。

たけお君はとても論理的に読んでいることがわかります。

あらすじを正しく把握し,どのような流れでモチモチの木に灯がともる様子を見たのかが理解できています。

しかし,最後の「山の神様が認めてくれた」には少しの飛躍があります。

3年生ならではの読みであるが,この飛躍をどう埋めていくのかも大切です。

私は飛躍を埋めるために,その他の叙述と関連付けさせて読ませていきたいと考えます。

しんじ君の読みはるうま君の感じた不整合性を説明するには難しくなります。

かいた君はモチモチの木に灯がついた様子を見た豆太の気持ちではなく,じさまにしょんべんに付いていってもらったことに重点を置いた読みになってしまっています。

この後,わたしの問いの解決を行い,国語の記録を書かせていきました。

その内容を以下に載せる。文頭にある何についての国語の記録なのかを明記している。



ころう君:感想

僕は前の問いをクラスのみんなと考えました。そしたら,たけお君としんじ君がぼくが考えていた弱い解決について,ビシッと答えてくれました。二人に感謝しています。

おうみさん:感想

ころう君が質問したら2つのアイデアが出た。私も困ったことがあったら,みんなに質問して,同じ問いや似ている問いを立てた人などに意見を聞く。そして,みんなの問いと解決でつながることをどんどん見つけていきたい。

あいこさん:問いの発展

(問)豆太は医者様にねんねこばんてんでおぶわれている時,どんな気持ちだったか。
解決:(解)「医者様のこしを足でドンドンけとばした」とあるから,医者様をけるほどじさまが死んでしまいそうな気持ち
(活)ドンドンけとばした時,イライラしている感じを考えるといい活弁になる。

しんじ君:感想

ころう君と同じ問いだったから,すごく参考になった。自分,ペアではわからなくても,グループでほとんどというか全部グループで解決できた。新しい問いを作ろうと思ったが,全然思いつかなかった。一回思いついたが,すぐ活弁に関係ないと思ったので,すぐやめた。

のどかさん:問いの発展:モチモチの木の昼と夜のちがい

解決:昼は身を落としてくれるふつうの木だけど,夜になると「お化け~」とやっているんじゃなくて,豆太が月の光に当たったり,風がふいたりして,「お化け~」に見えたんじゃないかな。

かいし君:感想

今日は最初に昨日の学びで,しんじ君の三点セットを使ったから,わかりやすいノートになり,(問)(かい)(活)を全部書くことができた。これからのノートも(問)(かい)(活)を書くようにしたい。

ゆうじ君:問いの発展

63・69行目の「じさま」を,どういう気持ちで豆太は言ったのかを,どう活弁すればいいか?
解決:1回目の63行目は「ひょっと目を覚ましました。」ということは,豆太は少しねぼけているから,「ぁ」とあり、「っ」はこわくてびっくり。

さくこさん:問いの更新:「モチモチの木」とじさまはどちらが大切なのか。
解決:モチモチの木を見たかったけど,小屋に入り,じさまが死んでしまうのがこわくて,こわくて,モチモチの木が見るひまがなくて,足でドンドンけとばしたと思う。
解決をどうやってしたのか?:文章や絵を見てわかったことがある。絵と絵がつながる。


だいじ君:問いの解決:③「最後の『じさまぁ。』で豆太の気持ちはどうなったのか」
解決:豆太は最初~72行目まで,自分はおくびょうだと思っていた。でも,じさまが死ぬのが嫌だったから勇気を出して,夜の山を下って行って,最後は自分はおくびょうじゃないんだとわかったということを学んだ。自分でたとえると,ぼくが夜の山を走れと言われてもすごい怖いから,ぼくのきもちと豆太の気持ちは似ていることがわかった。


あいこさんやかいた君の学びの様子を見ると,しんじ君の3点セットを使いながら,「わたしの問い」と「わたしの問いの解決」と「言語活動」のつながりを意識した「わたしの問い」の解決ができていることがわかります。

こうし君とみやこさんの「豆太のおくびょうさ」についての立ち止まりはとてもよい。

特に,みやこの「本当は豆太はおくびょうじゃないのではないか」という読みは,とても鋭いです。

この読みは言語活動に取り組む中で,再度「わたしの問い」に戻った時に全体で共有させたい読みであります。

みやこさんの「おくびょう」をどう活弁するかを考えることも,豆太の性格や人物像を読むことにつながる学びとなります。

「おくびょうに立ち止まっている子どもとつなげたり,国語辞典による「おくびょう」の定義を導入したり,「おくびょう」を使った例文をいくつか作り,おくびょうとはどういう時に使うのかを調べさせたり,既習の物語の中に「おくびょう」と呼ばれる人物がいたのかを考えたりすることで,みやこは「おくびょう」という言葉の意味を深く理解し,人物の性格を表す言葉を選ぶ際に使える解決策を身に付けることができると考えております。

さくこさんが目を付けた挿絵を読むことも大切です。

あまり広げ過ぎると叙述から離れていってしまう恐れがあるので,子どもたちの学びの様子を見ながら助言していきたいと考えています。

てんじ君の班の友達から出されてきた意見の「共通項を考える」という考え方はとても面白い。汎用的な解決策になりうるものだと考えるので,掲示物として残し,活用できるようにしていきたいです。

その反面,れいなさん,ゆうた君,ちかお君,ももよさん,たまえさん,そうた君,ももささんの学びの記録を見ると,活発に話し合っているが,その結果がノートに残っていませんでした。

その要因として「話し合いに夢中になっているため記録できていない」ことと「思考できずに何もノートに書くことができない」ことが考えられます。

全員話し合いには参加しており,特に,ゆうたは班での話し合いをリードするぐらい参加することができています。

ゆうた君以外の子どもたちには,「わたしの問い」を解決するための手助けが必要であると考えます。

思考するためのヒントを,学習課題にある「思考操作」や子どもたちから出された「解決策」に立ち戻らせながら活動させることが必要であると考えるのです。



いかがだったでしょうか?

本時は「わたしの問いの発展・更新」でした。

このような学びを通して,子どもたちは「深い学び」につながる確かな学びを生み出していくのです。

次時には,「活弁台本を実際に書き始まる」学習に取り組んでいきます。

1人1人の語彙を駆使した,個性あふれる活弁台本ができるといいなと考えております。

また、明日お付き合いください。どうぞよろしくお願いいたします。


国語科 中尾聡志
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